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母と栗を拾う

9月8日 小栗12〜13個拾う

9月9日  小栗6〜7個

9月10日 小栗6個

9月19日 大栗1個

9月20日  大栗2個

9月21日 大栗13個 小夕2

9月22日 栗小朝3、夕3

9月23日 大栗13

9月24日 小栗朝1、大栗朝5、夕16

母の日記にそう記されている。

まるでリスの日記のようで思わず笑ったが、毎日せっせと栗を集めていた母の姿を想像するとなんともいじらしく、そしてなにも他にすることもなし、寂しさ紛れに独りで栗を拾っていたんだと思うと、せつなくて涙がぽろぽろこぼれた。

ちょうど一年前のことだ。

母が脳内出血で倒れて、しかも一人住まいの自宅で発見されるまでに四日も経っていた、という知らせを受けた時は頭が真っ白になった。アメリカからすぐに飛んできたが、母の意識はなく、ICUで治療を受けている母をただ、ただ、見守るしかなかった。今まで頑丈だった母が、急に小さくなっていて私はうろたえた。母が作った栗きんとんがうちの冷蔵庫の中に残っていたが、それももう発酵していて酸っぱかった。せっかく母が作った栗きんとんを捨てるわけにもいかず、虚しく冷蔵庫の中に佇む栗きんとんを見ては涙を流した。

幸い手術も成功し、身体の麻痺もほとんど残らず、今では運転と火を使う料理以外はほとんどなんでも自分で出来るようになれた。言葉に障害が出ることはやはり最初から見込まれてはいたが、それも意外に軽症らしく、リハビリと共に徐々に回復している。文学好きの母が一気に言葉を失ったことは本人にとっても大変ショックではあるけど、帰らぬ人、もしくは植物人間になってもおかしくない状態だったので、短期間でここまで回復できたのはまさに奇跡だとおもう。

幸い、母に食い意地が残っていたので助かった。

病気してこんな風になってしまって、ショックであのまま死んでた方がよかったとおもうんだけど、ごはんが出てくるとついつい美味しく食べてしまう、とはじめは嘆いていた。

私たちにとっても母と食事をすることが今までとは違った意味合いになってきた。とにかく美味しいものを食べさせて元気を出してもらおうと、それが一番だとおもっていた。言葉がまだうまく言えないと嘆きつつも、最近ようやく母に笑顔が増え始めた。

先日、近所の山間に大きな栗の木を発見した。いつも自分はこの時期は唐津に居ないので気付かなかったけど、大きな栗がいくつもぶら下がっていた。我が家にも栗の木はあるのだけど、母がしょっ中見計らっていないと誰かから盗まれてしまうらしい。毎日栗の成長を確認しながら、さあて、今日が摂りごろかな?と期待して行ったらもうなくなっている!ことがちょくちょくあるらしい。相手も一歩上手で針の穴に糸を通すようなタイミングで栗を狙っているようなのだ。なので、栗泥棒はタチが悪い、という印象がある。

さて、この大きな栗の木、山間とはいえ、周りには田んぼがあるので、きっとどこかの農家さんの土地だろう。けれど栗の木の下には既に幾つもの栗がころがっていて、栗のイガイガが時間が経ってもう茶色く腐色しているものもあるので、誰かが栗をねらっている、という印象はない。

まさか!シンジラレナイ現象!

母にその旨伝え、翌日その場所へ連れて行くと、最初は躊躇して「見つかったらどうする?」とドギマギしていたが、

立派な栗の木ですねえ!って白々しく言う?

または、外国人のフリして、これオモシロイですね、何ですか?食べられるんですか?とでも言う?

「また、アンタは図々しい!」

と呆れる母も、目はキラキラと子供のように光っていた。

途中何度か車が通りかかってギクっとしながらも、袋一杯に詰まった栗はずっしりと頼もしい手応えがあった。

そして袋を母に渡すなり、すかさずスタコラサッサと逃げ走る様は、母が病気して以来、一番軽い足取りだった。

さっそく焼き栗。包丁でちょっと切り身を入れ、外皮も付けたまま焼いた。

ふわっと甘くてスリルも一緒に味わいながらお腹を抱えて笑った。

2014年九月吉日

大栗、71コ拾ウ。

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先日、久しぶりに唐津のとあるレストランにいったら韓国の方が大勢いらっしゃってました。私の後ろから聞こえてくる会話がなんとなく九州弁に聞こえてしまい、そうかそうか、『おいしかヨ〜』といっているのか、とか、はたまた『ナマダヨ〜』と聞こえたり。勝手に彼らの会話を想像して楽しんでおりました。そういえば、以前五島に行った時も、フェリーの中で大きな声で話しているひとたちがいて、ほぅ、韓国の人も五島へいくのだな

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